2006年10月27日 14:55
先日研究会に出て、「詩の推敲」という事について
色々話を聞いてきました。
私が今ここに掲載している最新の詩は大体1年前位の詩でして、
えーと、詩の終わりに3行くらいで今読んだ感想を書いてます。
詩の改訂を行わない代わり、そういう形で今の思いを
載せてきました。
この作業を替えてみれば、「詩の推敲」という形に
なるんではないかと思いました。
実は自分で思うんですが、最後の感想部分そのものが
3行詩のようになってるんではないでしょうか。
総括の思いであったり、違う視点からコメントしたり、
とにかく1年寝かせて今思うことは同じか違うか
何かしら思いがあるのです。
詩集の中身もそうなのですが、
今でも「これは何か足りない」と思う詩が
とても多いんですね。
でも赤を入れるほどはっきりとは
「何が足りないのか」という事が今わかりません。
でも研究会に出てみて、
「もしかしてあの3行が推敲の原点ではないか」と思い始めました。
初期の作品とか、駄作のようなものも、
私にとっては大切な作品のひとつです。
書いたときの気持ちを大切にしたいから、
敢えて詩には手を加えずあとがきにしてつけてきました。
それはそれでいいと私は思っています。
そしてそれとはまた別に、昔の作品を改めて推敲して
改訂版として載せることが出来たらいいなと思います。
いつになるか分からんけどね(笑)
1年という歳月の間に私の詩のストックも山のようにあるし
今の私が手を入れるのには時間が近すぎます。
手を入れるならごく初期の作品になると思いますが
初期は初期で手の入れようがないのです。
あの時にしか書けない思いが詰まっているのです。
私は詩が好きです。
好きという気持ちを持ち続けるためには
私という人間に自信を持たないとなりません。
私はまだ詩人としてはひよっこで、
ちゃんと詩を勉強した人から見ればまだまだ駄目っ子です。
でもそれでも勇気を持って発表すること、
その時、であっていい、納得いく作品を書くこと、
これらが必要だと思いました。
私は詩が「好き」。
好きだから書く詩達。
それだけは捨てたくありません。
人生の大先輩から指摘を受けると「あーそうか!なるほど!」
と鵜呑みにしてしまうところが私にあります。
でも私の人生はどんなに背伸びしたって
そんな人達の人生には追いつかないんですよね。
私は私の詩を書けばいい。
個人的に、あおはさん、ありがとう。
あおはさんの言葉で「そのままの詩のかたち」
「推敲するときの私の気持ちの位置づけ」
そういうものを考える機会に恵まれました。
私の詩は私のものでしかなく、
詩には「盗む」ということができない文学だと思っています。
自分の力で育てていくしかないのです。
私は今の年代でしか書けない若い詩でもいいんだと開き直ります(笑)
そのうえで「孤独の普遍性」を探していけばいいんです。
「死」を知らなければ知らない観点から書けばいい。
模索する姿そのものが詩と向き合うことになりますよね。
やっぱりこの場があってよかった。
これからも此処で書き綴っていこうと思います。
色々話を聞いてきました。
私が今ここに掲載している最新の詩は大体1年前位の詩でして、
えーと、詩の終わりに3行くらいで今読んだ感想を書いてます。
詩の改訂を行わない代わり、そういう形で今の思いを
載せてきました。
この作業を替えてみれば、「詩の推敲」という形に
なるんではないかと思いました。
実は自分で思うんですが、最後の感想部分そのものが
3行詩のようになってるんではないでしょうか。
総括の思いであったり、違う視点からコメントしたり、
とにかく1年寝かせて今思うことは同じか違うか
何かしら思いがあるのです。
詩集の中身もそうなのですが、
今でも「これは何か足りない」と思う詩が
とても多いんですね。
でも赤を入れるほどはっきりとは
「何が足りないのか」という事が今わかりません。
でも研究会に出てみて、
「もしかしてあの3行が推敲の原点ではないか」と思い始めました。
初期の作品とか、駄作のようなものも、
私にとっては大切な作品のひとつです。
書いたときの気持ちを大切にしたいから、
敢えて詩には手を加えずあとがきにしてつけてきました。
それはそれでいいと私は思っています。
そしてそれとはまた別に、昔の作品を改めて推敲して
改訂版として載せることが出来たらいいなと思います。
いつになるか分からんけどね(笑)
1年という歳月の間に私の詩のストックも山のようにあるし
今の私が手を入れるのには時間が近すぎます。
手を入れるならごく初期の作品になると思いますが
初期は初期で手の入れようがないのです。
あの時にしか書けない思いが詰まっているのです。
私は詩が好きです。
好きという気持ちを持ち続けるためには
私という人間に自信を持たないとなりません。
私はまだ詩人としてはひよっこで、
ちゃんと詩を勉強した人から見ればまだまだ駄目っ子です。
でもそれでも勇気を持って発表すること、
その時、であっていい、納得いく作品を書くこと、
これらが必要だと思いました。
私は詩が「好き」。
好きだから書く詩達。
それだけは捨てたくありません。
人生の大先輩から指摘を受けると「あーそうか!なるほど!」
と鵜呑みにしてしまうところが私にあります。
でも私の人生はどんなに背伸びしたって
そんな人達の人生には追いつかないんですよね。
私は私の詩を書けばいい。
個人的に、あおはさん、ありがとう。
あおはさんの言葉で「そのままの詩のかたち」
「推敲するときの私の気持ちの位置づけ」
そういうものを考える機会に恵まれました。
私の詩は私のものでしかなく、
詩には「盗む」ということができない文学だと思っています。
自分の力で育てていくしかないのです。
私は今の年代でしか書けない若い詩でもいいんだと開き直ります(笑)
そのうえで「孤独の普遍性」を探していけばいいんです。
「死」を知らなければ知らない観点から書けばいい。
模索する姿そのものが詩と向き合うことになりますよね。
やっぱりこの場があってよかった。
これからも此処で書き綴っていこうと思います。






コメント
コメントの投稿