詩集出版のお知らせ

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第一詩集出版!
-無所属で一人で書いてた頃の詩の詩集-
※自費出版にて出版させて頂きました。

題名→詩集 こころのともしび
ペンネーム→原島 里枝
出版社→埼玉新聞社事業開発局出版担当
表紙・挿絵→小浦昇 様
協力→ギャラリー椿 様 ※こちらの画廊でも販売中
規格→A5判、126P、上製本(ハードカバー)
表紙フルカラー、中表紙フルカラー、帯付き、紐付き
価格→1500円(税込1575円)
発行年月日→2006/08/28
埼玉新聞社事業開発局出版担当へ直接注文可能(+送料210円)     
※Amazonからはこちらから注文可能

※書店販売が埼玉県下に限られるうえ
一般書店からの取り寄せは可能ながら時間がかかるという非常に厳しい状態ですが、
この度無事 ※Amazonより注文可能になりました。
Amazonで注文の場合は送料無料になります。
問い合わせ、注文は埼玉新聞社事業開発局出版担当からもできます。
その場合は送料は読者負担で210円プラスだそうです。
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現代詩研究会初参加(激長)

2006年10月27日 00:32

本日現代詩研究会に初参加してきました。
予告では3篇持っていくと言っていましたが、
結局今日発表したのは下記の「迷子」一点です。
この「迷子」は、ここでは初出になりますが、
「迷子」の追記にあるとおり惨敗です。
「若い人の詩」、皆さんそれを口にしていました。
「新鮮な感覚」と仰って頂いたり、
(「まるで帰り道を/知っている顔をしていた」の箇所等)
・・・もしたのですが皆さん口数少なくorz
意見が出ないくらい低次元なのが分かりましたorz
確かに私含む計8人の中で私がダントツに若輩者です。
大体50代〜70代の方々ばかりですが、
「若くていいわねぇ」みたいな雰囲気以上のものは
入っていなかったというのが私の感じた感想でした。
まぁ才能が全くない訳ではなく、
光るものがあるのでこれから先が楽しみ、とも言われましたが
「これからが楽しみ=成長しろよ」と聞こえました。

と、ここで現代詩研究会の仕組みを書かないといけないですねorz
現代詩研究会の集会頻度は月に一度です。
現在所属者10名、長期休会者2名、実質8名の会です。
埼玉詩人会理事長を筆頭に錚々たるメンバーが集まっていますが、
いわゆる「先生」は居ません。
(実質的「先生」は埼玉詩人会理事長ですが、
「先生」という立場は公にはとっていません。
あくまでも一メンバーです)
一人一篇を持ち寄り一つ一つ検討していく会です。
やり方は、まず自分の詩を皆の前で朗読し、
一人ずつ全員がその詩に関する感想や質問をしていきます。
ですから私も皆の詩の感想・質問を一つ一つの詩にしました。
私の詩は皆コメントが少なくさっくり終わりましたが、
通常一つの詩に30分ほどかけて全員でじっくりと鑑賞します。

まず私は「詩を朗読する」という経験がありません。
今日より4日前、埼玉詩人会の交流会のバスの中で
「深海」を読んだのが生まれて初めての自作詩朗読でした。
公の詩の検討会では今回が初の経験です。
そして直接人の顔を見、人から感想・意見を貰うというのも
生まれて初めての経験でした。
児童・生徒時代にもそんな経験ありませんでしたよ。
そもそも「自作詩を書く・読む」という教育は
今の(昔も)教育現場ではありませんからね。
私はネットの中で丸8年、今月で9年目になる自作詩作成歴を
持っていますが、自分の詩を声に出して読んだことは
一度もありませんでした。人が詩を朗読するのを聞いたのも、
教科書の詩を勉強していた児童・生徒時代のみです。
(学生時代は私は理系でしたので勿論ありませんでした)
ましてや人前で一つの詩について感想・質問をすることなど
人生の中でした覚えがありません。
(自分よりも高度な現代詩に対して、
私なりの感想・質問をしましたが、
まぁそっちはそこそこだったみたいです。)
ネットの中で感想を貰うのも、辛口なコメントは余りなく、
気に入ってもらえた詩にだけコメントがつく、という程度で。
私の詩は同世代には受けるかもしれないね、というレベルで
もっと広い層に普遍的に繋がる詩が書けるといいね、
これから少しずつ努力していこうね、という話でした。

勿論私も自己主張してきましたよ。
私は「好き」にこだわります。
自作詩も「好き」なまま書きたいのです。
「書かなければ」という「義務」にしたくないのです。
ここにこだわる理由には、
一つは詩の前に絵を描く趣味が私にはあったのですが
デザインを「仕事」に選んだがため、
その上司に体調不良で辞める際、「お前には才能がないんだよ!」と
言い放たれた一言がぐっさりと胸に突き刺さり、
それ以降絵が全く描けなくなってしまったのです。
二十数年、ずっと、研究室で細菌と向き合っていても描いていました。
沢山の辛いことも絵を描いて慰めてきました。
それらが全て灰燼に帰した瞬間を味わっています。
他にも合唱をやっていましたが、私の声は鼻声なので、
「あなたの声はなんか浮くよね」と言われた言葉が忘れられず、
これも十数年続けていたけれど結局合唱の場を去りました。
「私の声は浮く、馴染まないんだ・・・」
他にも趣味だったもので失ったものが幾つもありますが、
そんな私にとって自作詩とは「最後の自己表現の場」なのです。
「言葉」。これが私の「最終」なのです。
これを失ったら私にはもう何も残りません。
だから成長が遅いとしても「好き」という気持ちは
絶対に捨てたくない、失くしたくない、大事なものなのです。

この月に一度の会合そのものも、私にとってきっと貴重な場に
なると思いますが、もう一つ貴重な場はその後の「飲み」にも
繋がりました。
今日は飲みには初め5人、途中で2人帰り後は3人で、そこから
私が抜けて帰宅してきたのですが、何せ熱い。
私が新参者で若輩者なのもあるかもしれませんが、
酒が入ってきて初めの落ち着かない雰囲気もほぐれた頃には
皆で詩について語るのです。
私はひたすら勉強になる場です。
その場で、私は4人に残りの2篇を読んでもらいました。
皆酒の席なので貰って仕舞う、みたいな感じですが
私の隣が理事長で、理事長に「これどうでしょう」みたいに
聞いてきました。
初めは「夜中の外灯(自作詩展示室未収納)」を。
これは私の中で3篇の中で最も駄目に思っていたものですが
「出だしはいい」と言われました。
ただ、後半が駄目でした。ぽっつり終わっているのです。
前半部分の後、「例えばこれが十五歳の子供の時だったとしたら?
その後がこんな終わり方じゃなく、すごく想像力が膨らむのでは?」
とコメント頂きました。
すみません載せてない詩のコメント載せて(苦笑)
まぁ改訂前のもいつかここに収納するでしょうから
気長に待っていて下さい。

そしてその後も、来月の寄稿用に配ってきた
刻まれていく時間(改訂前)」を見て貰いました。
これはコメントこそ残っていませんが詩の大先輩から
反応のあった詩だったので、一番まともに出来ているつもりでした。
うん。これは第3連までOKでました。
最後だけ駄目〜って言われました。
どういう方向性で書くかも教わってきました。
というかほぼ答えを貰って帰ってきたのですが
自分の納得のいく言葉で書き直さなくてはならない。
これは帰途の電車の中、帰宅してからwordの前、
ここに投稿してから
更に推敲を重ね、「刻まれていく時間(改訂版)」が
出来上がった訳です。
「一日とは人の一生」
ここで一番悩みました。悩んで悩んでずーっとここだけ呟きながら
2本も煙草を消費しました。
でも今の時点でこれ以上いい言葉が出ない。
理事長の教えてくれた答えそのまま書いてしまったかもしれない。
自分で摑んだものの飲んでいて理事長の言葉を曖昧にしか
覚えていなくて、後は私の摑み具合なのです。
悩んだ末、言われたまんまかもしれないけど、
私なりに納得した一行としてこの一行にしました。
締め切りまであと3週間ほどあるので、
また機会があれば考えます。
今の時点では上記が最良の一行です。

とりあえず飲みは濃かった。
メンバーが重鎮ばかり(というか参加者皆すごいのですが)で
色々教えてもらう教えてもらう。
まぁ私が私の詩で摑んできたことは2つあって、
一つは「一日=人生」、一つは「地球の時間に比べたら一瞬」
これらを盛り込んだ訳ですよ。
あともっと色々聞いたんですが酔ってて実になってません(馬鹿)
でもいいよ。
「人の顔見ながら自分の詩を読むだけでも摑むものがある」
と言われました。そうかもしれない。
そこに感想・質問が加わる。
実は来月11月の「刻まれていく時間(改訂版)」の後の予定の詩は
皆無なのですが(無謀)、皆無なので戦々恐々とした気持ちですが、
そこはそれ、昔の詩をひっくり返して探すしかないですねorz
あとは自力で書きたいんですが、今書いてる詩は無駄に長い。
ここ1ヶ月くらいずーーーっと無駄に長い。

正直な話、皆さん歳も歳なので、題材が「生と死」なんですよ。
「生きていく、ってかっこいいよね」とか
人生観の根底に関わるような会話が普通にある訳です。
人の死というものが深く関わっている詩が多い中、
私は幸いにも身内で亡くなった人間は
中学の時祖父が亡くなったきりなのです。
それ以来まともに通夜や葬式に参列したことはありませんし、
中学生の私には死は難しすぎました。
今になれば思い起こすものもありますし、
ネット友人で夭折した方も居ます。
(諸事情で住所など分からないのでそのままになっていますが)
古い友人の中には親御さんを亡くされた方や、
友人・親友を亡くされた方も居られます。
ただ私の想像の中でしか気持ちを測れませんが・・・。
だから私の「死」は薄っぺらいんだと思います。
「血反吐吐いても生きていくしかないんだ」という「生」への
思いはあっても、「死」への思いは薄っぺらく、
バランスが悪いのです。
それは幸せなことなのよね。
でもいつかは知ることになる思いでもある訳で、
文学として今それを身近に触れる機会に恵まれた訳です。

私の詩の方向性はまだ定まっていません。
でも人間の「孤独の普遍性」というものなら思いも少しは
分かっているつもりです。
だから私は「死」というものより「孤独と生」をテーマにしようかな、
・・・と今思いました(をい)
「生きるとは何か」
私の詩集の帯にも入れた言葉です。
これが今の私のテーマなのかもしれません。

長くなりました(本当にな!)
追記に移すことも考えましたが、今回はこのまま掲載します。


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