12/2にY市に行きました。
詩人会関係でお誘いがあって、そっち関係の復帰第一弾でした。
今年、うちの近所の方且つ女性の方が詩人会に入られて。
歳こそ違えど、今回はその方も誘われてご連絡頂いて。
S川さんの関係なんですけどね。
(分かる方にはそろそろイニシャルでも分かるかなと。)
他色々私の中で色々あって(コンサートもキャンセルしたし)、
ちょっと無理して行くことにしたのです。
大変良い機会でした。
同行者の方々も、迎えて下さった方々も、会そのものも。
別に教室に所属した訳でもなんでもないのですが
一篇、読ませて頂いたり。本にサイン頂いたり。
万年筆はこれを使ってらっしゃるんだなーとか。
ただ、個人的に、自分の詩の稚拙さにいい加減嫌気が差して。
自身の不勉強さにも心底、辛くて。
それで、ちょっと記事が止まってました。
メルマガではちょっと爆発してましたけどorz
(号外出しましたorzここでは書かないような結構素な自分。)
白状したくないことなんですが
先人の詩と「かぶる」ことがあって。
表現とか題材とか流れとか、もう、何?色々。
今の時点で3つ分かってる。未発表でかぶってんじゃないです。
朗読した詩も、「三好達治にそんな表現あったわね」と
S川さんに指摘された表現。諳んじておられました・・・。
http://blog.livedoor.jp/ac5562aozora2/archives/50498634.html
これね・・・。海→母、っていうのがね。
そして空き時間に見て回ったS川コレクションなるブースにて
S條八十に初めて15歳のS川さんが持っていった詩のノートの題名。
「心の灯」。まじですか。読み方はルビなかったけど、
おそらくは「こころのあかり」なのかなと思うけど、
でもちょっと待って。
私随分前に、S川さんにいきなり自分の詩集を押し付けた時に、
「先人の詩とかぶらないように勉強なさいね」って言葉を頂いたけど
なんかもうその時の言葉が頭蓋の中で反響しましたよ。
確かに世に出てる詩集の題名じゃないけどさ。
なんで私はそこでかぶるかな。
あと、若い方がいらしてて。葛原りょうさんって方だけど、
ちょっと、こちらを読んで頂けませんか。皆様。頼みます。凄いの。
「
鉱石」。この詩の朗読なさって。
この方にも詩集押し付けます送りますって言っちゃったんだけど
この方中也に超詳しかった。いや詩の勉強をすごくしている。
それで・・・その帰り道、
今更気付いた。自分の詩集に入ってるので、中也の超有名な詩とかぶりまくってる。
のがある。
もう題名も出したくないorz@題名から連想できちゃうと思う
あれです、「ゆやーんゆよーんゆやゆよん」の詩のパクリのような。
題材も・・・同じだしね・・・。方向性は違ってても。
でも幾らなんでも。12/1か11月末かでNHKでそれの朗読やってて
久しぶりにちゃんと聞いて、なんか喉に小骨が刺さった気がしてたけど
今更気付いてどうするよ自分orz私初めて自分で目を逸らしてた部分、一つ気付いたというか見た。
私はきっと今までずっと生きることに不真面目だった。
真面目に改心したつもりでも、そうじゃない部分が確実に。今更。
詩人会に入っても、入りたてとか詩歴がどうこうとか逃げてた。
でも若い方でもこれだけのものを創り上げる。
私は、この方は努力したんだと思う。
そしてここまで来たんだと思う。
私は努力をしているつもりだった。
でも凄く大きな大きな隔たりを感じてしまった。
身近な人にこういう事を相談しても
「趣味と思ってやってればいいじゃん。
一体何がしたいの?売れたいの?そうじゃないんでしょ?
じゃあ楽しく書いてりゃいいじゃん」
そうだね全く同じ事を私は口にしていたね。
「詩を好きで居たいから、なかなか伸びなくても
私の歩幅で行きます」って言ってたね。
一言で言えば、私のその言葉は薄っぺらかった。
砂利石磨いたって、たかが知れてるって思ってたし、
上達だってこれから少しずつでいーじゃんと思ってた。
でもその思想には基盤がなかった。
水もね?
他愛ない日常から切り取っただけじゃなかった。本当は。
そこには、生きるのに疲れてきてた自分に希望を持たせようと
書いた詩だったんだけど、全くその深さを伝えられなかった。
それは完全に私の表現不足であって、
そして今年前半で一番いいと言われた詩がこんな状態で、
なんというか、根本的に自分の才能を疑ったし
純粋に、妬みとかそういう歪みなしに、
心底「羨ましい」って気持ちが胸に落ちてきた。
水も手直し次第で込めたい思いも乗るだろう。
水ですら、突き進んでいくんだ。終わりへ向かって、一心に。
真っ暗な思いに囚われている自分も、足を止めちゃ駄目だって、
どんな長いトンネルくぐっても、最後は凪ぐよってこと言いたかった。
・・・でも、そういう気持ちを、どう入れれば入るだろう??
井の中の蛙。或いは箱庭の中で生きてた人。
外の世界を見ようとせずに自分の庭だけで遊んでる人。
そして、外の世界をまともに見たら、
あんまり眩しくって目が眩んだ。直視したくない。怖い。嫌だ。
知りたくない。無知のまま笑っていたい。
私がちゃんと見ようとしなかった自分と自分の生き方を
今この歳になって思い知りたくない。・・・なんてのが本音な訳ですよ。
怖いから知りたくないんですよ。本当のことなのに。
そういう自分に深い幼稚さを感じるし
実は詩を書いていてずっと自分と向き合ってるつもりだったから
生活も対人も仕事も何もかも全力なつもりで来てたから
ここからがスタート。
なんて素直に受け止められるだけの覚悟がもうないんですよ。
どうしますこのバカさ加減。
ちゃんと整理して、これからどう進むのか。
そこんところで私は今立ち往生してます。
他愛ない短詩であっても、私の切れ端です。
だから去年のログを今出してるけど
そこに本来あるべきかもしれない選別を私はしてないけど
すごい迷いもあって。単なる自己愛じゃないかって。
今日は完徹してこの時間まで起きてます。
今晩は普通に眠れると思うけど。
いきなり、詩の世界を掻き込むようなパワー・・・。
・・・実はもうない。まだない?どっち?分からない。
でも牛歩の勉強のスピードと濃度を一気に高めることができない。
駄目な人だな私は。
受験生は必死で勉強してるじゃないか。
なんでいい歳した私にその情熱を燃やせない。
・・・という訳で迷走中の私の近況でした。
詩の活動に関してほとんど触れてない記事ですみません。
最近のコメント